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20/02/13

アルゼンチンひよこ通信33 カストロさんの手紙

ベネスエラのチャベス大統領にむけてキューバの元元首、カストロ氏が書いた手紙についてのブログをアップしたはずですが、どうやら丸ごと記事が消えてしまったようです。

もう一度書こうかとも思ったのですが、本日、3月5日の現地時間16時25分にチャベス大統領がお亡くなりになりました。つつしんでご冥福をお祈りしいたします。

チャベス大統領の記事はこちら
http://www.lanacion.com.ar/1542831-murio-hugo-chavez

カストロ氏の手紙についての記事はこちら
手紙の抜粋がご覧頂けます。何を書いたかというと、カストロ氏のスペイン語が学校の校長先生みたいなきちんとしたスペイン語だったのに驚いた、というそれだけの話題でした。

フォローが遅くなって失礼いたしました。

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18/02/13

アルゼンチンひよこ通信32 銀行

日本の皆様こんにちは。2月も半ばを過ぎましたが、寒さはいよいよ本格化しているころでしょうか。体調など崩されませぬよう、ご自愛下さいませ。
 南半球にあるここ、ブエノスアイレスでは、連日、暑い日が続いて別の意味で体調をくずしそうです。2月にもバカンスを取る人がいるとはいえ、カーニバルも終わるとそろそろ街に人々が戻ってきている感じがいたします。バスも地下鉄も混み始め、きれいに日焼けした人たちがこざっぱりとしたシャツに身を包んで仕事に復帰しています。

公園には、ブエノスアイレス市が提供する黄色いパラソルとチェアーが並びます。黄色は市のテーマカラー。自転車も黄色なら、工事現場のついたても黄色です。連日35度越えの気温と暑い日差しの中、公園で水着になってせっせと肌を焼いている光景が見られます。スペインでもそうでしたが、「日焼けはバカンスにいったあかし。白肌はバカンスに行けなかった可哀想な人」という見方がまだ優勢なブエノスアイレスでは、みなさん日焼けにせいを出しています。確かに、日焼けした肌に糊の利いた明るい色のシャツを颯爽と来た男性や、ワンピースにサンダル、大きめのアクセサリーをつけた女性などは生活の余裕が感じられて、見てても健康的で気持ちのいいものです。湿気が多くてひたすら暑い街で、彼らのお陰で、バカンスの余韻のようなものが漂っています。

しかし、そんな中、またしても忍耐力を試されるようなことがありました。それは「銀行の振込」です。それはLa Banco de la Nación Argentina、アルゼンチンの国立銀行でのことです。

前に、地元の方から「Banco de la naciónの振込の列に並ぶくらいだったら、電車に乗って本人に払いにいった方がいい」ということをちらっと聞いたことがあったのですが、まあ、アルゼンチンの経験として銀行の振込をやってみたい、と思い、午前11時過ぎぐらいにぶらぶらと家を出たのでした。

地下鉄に乗って、我が家から一番近い支店にいきました。しっかりとした作りのおもむきのあるビルに入ると、小さな地方空港のロビー並みの広さに場所にかなりの数の椅子が並んでいます。椅子は8割がた埋まっていました。

嫌な予感がふといたしました。

入り口脇の機械から番号札を引くと237番と書いてあります。電光掲示板に光る"TURNO"=順番 の番号は36番。え?ふたけた?200番くらい差がありますけど?どういうこと??

とりあえず椅子に座って状況を把握してみることに。まず、日本の銀行にあるような振込先を書くような小さな用紙はないようです。みなさん番号札を持って、虚空を眺めたり、本を読んだり、クロスワードパズルをやったりしています。どうやら本当に、200人待ちのようだぞ、、、

事実を確認するため、もう一度入り口へ。誰か係員の人はいないだろうか?入り口脇に木製のカウンターがあります。総合案内か?と思って近寄るとなんと、アメやガムを売っているキオスクでした。長い待ち時間を甘いお菓子でいやすのでしょうか。一緒につれてきた子供対策なのかもしれません。しかし、銀行内部にキオスクがあるとは、、、

係員の人がいなさそうなので、もう一度、入り口の番号札の機械を見てみることにしました。よく見ると2つあって、1つは"Atención de la caja"。もうひとつは"Plataforma comercial" こちらは会社関係でしょうか。待つための椅子も電光掲示板も別にあります。待っている人は少ないのですが、その分、1人あたりの時間もかかっているようす。どうやら振込をするのには私の引いた番号で間違いはなさそう。

番号札の機械の脇には「番号札の配布は10時から。年金生活者=jubiladosのみ9時から10時の間に番号を受け取れる。」とあります。11時半過ぎに着いた私は完全に出遅れていたと言えるでしょう。

200人待ちってどれくらいだろう、とやや呆然としながら椅子に座ると、なんと隣の席に座っていたお兄さんが、私に157番の札を黙って差し出してくれるではありませんか!!

「もうお帰りになるんですか?」と聞いてみたところ、黙って手元にもう一枚の番号札を見せてくれました。そちらの番号の方がやや若い。どうやらあきらめて帰る人が、まだ待っている彼に番号札をたくしていったのでしょう。

すばらしい、すばらしい助け合いの精神。心の底から感謝しながらその157番の番号札を受け取りました。よく見ると、番号札を複数持っている人が何人かいて、互いに譲り合っています。それから待つこと1時間余。自分の番号が近づくと緊張します。ここまで待って呼び飛ばされてはいけない!!窓口に通じるつい立ての手前で汗でふにゃふにゃになった番号札を握りしめながら待ちました。

やっと自分の番号が表示されて、つい立てのうらの窓口へ。手続き自体はごくあっさりとしたもので、5分もかからなかったと思われます。5分のために約1時間半待ちか、、、しかしあのお兄さんが番号を譲ってくれなかったらまだあと1時間は待たなくてはいけなかったでしょう。

情けは人の為ならず。私も他の方のお役に立たなくては!入り口脇で今まさに、番号をひかんとしているおじいさんに、「どうぞこれをお使い下さい」と最初にひいた237番を差し出しました。おじいさんは驚いた様子で「あなたはいいんですか?」と聞いてくださいました。
「ええ、私はもう終わりましたから!!」おじいさんからお礼のことばを頂きながら銀行を後にしました。

暗いビルの中から真夏の陽光が照る通りに出て、すがすがしい気分で帰宅しました。アルゼンチンではいろいろな手続きが大変なぶん、人の親切が心に染みます。いろいろと便利な東京では、ちょっとした他人のもたつきやミスに思わずいらついてしまうことがありました。もしくは自分がもたもたして、他の人に「ちっ」と舌打ちされてしまうこともあります。ここ、アルゼンチンでは、いろんなことが手間ひまかかると、かえって他人には親切になれる、という不思議を体験いたしました。

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写真は銀行とは関係ない、レコレータ墓地の猫達。毛並みがよくてころころ太っていました。

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

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2/02/13

アルゼンチンひよこ通信31 王室の話題

日本の皆様こんにちは。寒い季節が続いているようですね。タミフル使用話などもちらほらきくようになりました。くれぐれも体調にはお気をつけ下さいませ。

南半球にあるブエノスアイレスは今、夏の盛りを迎えています。とにかく暑い。ラプラタ川が市の近くを流れているので湿気のある暑さです。ここ数日、夜も熱帯夜、朝から空調がないと耐えがたいという暑さが続いています。

そんな中、銀行に行ったら、自分が引いた番号札と、電光版に点灯している現在処理中の番号の間に200番ほどの開きがあって、一瞬、呆然とした、、、、という話を書こうと思っていたのですが、アルゼンチン出身のMáximaオランダ皇太子妃が今年4月に王妃になる、という華やかなニュースが飛び込んできましたので、そちらをご紹介することにします。

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Máxima Zorreguieta 皇太子が王位を次ぐことになったというClarín紙の記事:写真も記事より

アルゼンチンには勿論、スペインと違って王室はありませんが、ブエノスアイレス出身のスペインバスク系の血をひくMáximaさんがオランダ皇太子ヴィレム・アレクサンダーさんと結婚したことから、オランダ王室入りとなったのです。

Máximaさんは1971年ブエノスアイレス生まれ。Universidad Católica Argentinaで経済学を学んだ後、New Yorkで銀行に勤めていました。1999年にスペインのSevillaのお祭りでsevillanaの衣装を着て歌い、踊っていたMáximaさんをみたヴィレム皇太子が気に入ってしまったということです。Máximaさんの方は(アルゼンチンのNación紙によると)ガードマンに囲まれた赤毛のそばかす(pelirojo y pecoso)の青年がまさかオランダの王位継承者だとは思わず、皇太子は太っていて踊りも下手だったので、正直、最初は印象に残らなかったということです。

とはいえ、2002年には正式に結婚にいたりましたが、Máximaさんの父親のJorge Horacio Zorreguieta氏がアルゼンチンの軍事政権時代、Jorge Rafael Videlaのもと、農林大臣だったことが問題となり、結婚式には参列しませんでした。式ではピアソラが父をテーマに作曲した、タンゴ曲Adiós Noninoがバンドネオンで演奏され、Máximaさんが父の不在を思い涙をこらえきれなかったというエピソードがあります。

結婚後は3人の娘さんたちが生まれ、異国の地で(たぶん)いろいろご苦労されながらも常に笑顔を絶やさず、いつも彼女自身=ella mismaとして自然な=espontánea皇太子妃として活躍されています。

そんなMáximaさんですが、現オランダのベアトリクス女王が「この4月30日に王位を息子に譲る」と宣言したことから、次期オランダ王妃としてアルゼンチンでも報道されたのです。

Nación紙によるMáximaさんの生い立ち、なれそめ、結婚後をまとめた記事

勿論、アルゼンチンの女性誌Hola ArgentinaもMáximaさん特集です。ああ、はやくキオスクにいって買わなくては!!

Naciónの記事によると、王妃となるにはいままで2重に所有していたアルゼンチン国籍を放棄しないといけないそうですが、Máximaさんは決してアルゼンチン人であることと国との結びつきは放棄しない、とのことです。=Máxima nunca renunció a su argentinidad y a los lazos con su patria.

王室関係の話題になるとなぜか熱心に読んでしまうのでした。あしからず。

注)筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

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