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26/03/13

アルゼンチンひよこ通信35 最終回

ながながとおつきあい戴いて参りましたアルゼンチン通信も本日で最終回となります。読んで下さった全ての皆さんに心より御礼申し上げます。

先週から引き続き、アルゼンチンは新法王に選ばれたBergoglioさんの話題でもちきりです。アルゼンチンの人の名字の発音は難しいので、NYタイムスでも、Jorge Mario Bergoglio (pronounced Ber-GOAL-io)というように説明されていたようです。法王としての名前はPapa Franciscoとなるのでそちらのほうが発音しやすいですね。

下町に住み、普段から地下鉄とバスを使用し、貧しい人々の為に働いている庶民派として評価されている方のようです。日本人にしてみれば、地下鉄やバスに乗るなんて当たり前と思えますが、こちらでは中流以上の方々は自家用車移動が多いのでニュースにもなるのでしょう。キルチネル大統領とは夫のネストルさんのころに政権批判をしたことから仲が悪く、それもアンチ・クリスティーナの人々には人気のもとなのかもしれません。周りの地元の方も、おおむね好意的に受け止めているようです。私の周りの方々は、熱心でないにしろ、クリスチャンの方が多いからかもしれませんが。軍政時代に司祭の情報を密告したという「スキャンダル」もあるようですが、まあ、それはそういう時代だったから、、、という意見が多くきかれました。

こうしたお祝いムードのなかでアルゼンチンを後にできるというのもいいことだなあ、と思います。

さて、最終回の今回は何について書こうかなあとつらつら考えていました。おそらくこのブログを読んでくださる方はスペイン語に関心のある方々ではないかと思うので、「外国語を学ぶこと」についてお話しようかなあと思います。

私は英語、フランス語、スペイン語を勉強してきましたが、話が通じる程度に使えるのは英語とスペイン語です。今回、アルゼンチンについた時にはすでにスペイン語の知識があったものの、かなりさびついていたのとアルゼンチンのスペイン語がスペインで話されているものとだいぶ違ったので学校に通いました。正直いって、今回ほど語学学習のつらさを感じたことはありませんでした。まず、もう若くないので記憶力の衰えがみられること、中級以上のクラスはゼロから学ぶのと比べて上達速度が遅いことがあります。語学の勉強は中級以上になると基礎教養知識、自国語の国語力の問題も深く関わってくるので「日本語で読んでもよくわからない」文章を読んだり書いたり話したりしなくてはいけない、ということになるからです。

打ちのめされながらも、ストばかりの地下鉄とバスに乗って学校にいったのはなぜかというと、

まともに扱われたかったから

です。とてもネガティブな理由で申し訳ありません。しかしながら、ブエノスアイレスで言葉のわからない外国人が不快な思いをしないで生活するのは、かなり難しいと思うのです。もちろん、アルゼンチンにも言葉の分からない外国人に親切な方もいるでしょうし、言葉がわからなくても外国で親切にされた経験のある方もいらっしゃるでしょう。ただ、私自身の経験から言うと、海外で嫌な思いをすることの原因の一つとして、コミュニケーションがとれなかったから、があると思うのです。更にいえば、危険な目に会わない為にも「あなたの言うことはわかってるぞ」というアピールが必要なんじゃないかと感じたからです。

自己防衛からはじまった語学の勉強でしたが、おかげさまで滞在後半は地元の方々から面白い話を沢山、うかがうことができました。今では、語学の勉強できる環境を与えてくれた家族に感謝しています。

インターネットの普及や航空賃の値下げなどで海外が身近になったぶん、昔ほど海外生活への憧れがなく、仕事でも海外赴任を望まない方も多い、という話を聞きます。たしかに日本人にとって日本ほど快適に過ごせる場所はそうそうないだろうな、という気もいたします。しかし便利な一方で、「気遣い」からくるストレスがあると思うのです。

メールの返事が遅いとか、サービス業への不満とか、対人関係の円滑さとか、

こんなに気を遣っているのにどうして上手く行かないんだろう、、、

というような悩みをお持ちの方は結構多いのではないかと思うのです。私自身も自分に厳しくしようと思うあまり、他人にも厳しくなってしまうことがあります。しかし、スペイン語圏に住むと、「うまくいかなくてあたりまえ」という日常を目の当たりにし、「ま、そんなものよね」という意識が芽生えてくるから不思議です。

海外の方とお話しているとこういった、頭の栓が、ぽこりと抜ける瞬間に出会います。

日本人は勤勉で仕事熱心です。アルゼンチンでもそこが評価され、日本に対して好意的に思ってくださる方々に沢山出会いました。日本人は物事をすみやかに効率的に処理する能力に長けているので、経済的にも発展し、海外に行ってもさほど差別にあわずにすんでいると思われます。

ところがアルゼンチンの方と話していると、そうした実生活レベルのものさしではなく、まったく違ったものさしがあって、「そういう考えがあったのか」と気づかされことがあるのです。経済的にみれば、アルゼンチンはかなり困難な状況にあり、急激なインフレ、輸入規制、デフォルトの噂も常にささやかれます。電車はとまるし、スーパーから物はなくなるし、治安がいいともいえないし、どこに行っても並ばなくてはいけない。しかし、個人個人の教養の深さやいざと言う時の心の広さ、バイタリティに、素晴らしいと感じる瞬間がいくつもありました。

思うに社会システムには問題があるけれど、人間個人は素晴らしい、という国じゃないかと思うのです。こういうことは、現地の方とコミュニケーションがとれて、はじめて気づくことができることなのではないかと思います。いろんな方が私よりももっと上手に、こういった「異文化体験」に出会うことついて書いたり話したりされています。しかし、読んで理解するのではなく、やはり自分で体験して自分で気づく、ということがその後の人生にとってとても重要なのではないかと思うのです。

私がスペイン語を習う為に通ったブエノスアイレス大学(UBA)の授業ではしばしば、答えが一つではない、という問題を解きました。日本式の語学教育を受けた私にしてみれば、最初は納得がいかなかったのですが、「答えよりも考える過程が重要なのだ」という考えが根底にあるような感じられました。スペイン語、というくくりとはいえラテンアメリカ諸国でそれぞれ使われているスペイン語はボキャブラリー以外にも発音、文法解釈の違いなど、土地によって人種によって、社会階層によって、様々なバリエーションがあります。大抵の場合、「ここではこう言うのが一般的である」というグレーゾーンの答えが返ってくるのです。言葉は使う人によって変化していくものですから、当たり前のことなのかもしれません。
UBAで私が習った先生は生徒に正答を求めるのではなく、生徒の言いたいことが何なのか、それがここの人に正しく伝わるにはどのように言えば良いのか、を中心に教えてくださいました。一つの質問を生徒全員にあてて、一人一人直していく、という授業のやり方には驚きました。最大で1クラス10人位いたので、1人1問答えていくやりかたのほうが普通だと思います。非効率的でも常に対話は先生と生徒で行って下さったので、後々役に立つ授業でした。中級以上の場合、生徒同士で対話してもお互いに言いたいことを一方的に話すだけなのであまり身に付かないように思えるのです。

私のスペイン語はお世辞にも上手とはいえないし、動詞の活用を間違えることもしょっちゅうです。しかし、こちらの方の話を聞きたいという好奇心から、相手の話を正しく理解する努力と、自分の考えを誤解されないようにシンプルに伝える、という訓練はなんとかしてこれたように思います。

全ての方が、海外で生活するという機会に恵まれるわけではありません。もしもそういう機会に出会うことが合ったらぜひ、十分に満喫していただきたいと思います。

最後ということで長くなってしまいました。今回、コメント欄を書き込めるように設定いたしますので、ぜひ皆様の「外国語とわたし」についてお聞かせ願えれば嬉しいです。

読んでくださった皆様、自由に書くことを許してくださったセルバンテス書店の方々、一年間本当にありがとうございました。

スタッフM

Papafrancisco1683219w645
24日の日曜はカソリックの聖週間の初日である「枝の主日」=el domingo de los ramosでした。ブエノスアイレスではカソリック教徒の方々が路上で(多くは貧しい人々によって)売られているオリーブの枝を買い求めます。写真は下記の記事より。

新法王が誕生してからはじめての枝の主日

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

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9/03/13

アルゼンチンひよこ通信34 チェの由来

さて長々とおつきあい戴いてきたこのアルゼンチン通信も残すところ(およそ)今回をいれてあと2回くらいかな、と思っています。1年の滞在は長かったような短かったような、日本に帰ることで名残惜しいような、でもやっぱりほっとしているようなそんな風に残りの日々を過ごしています。

こちらに来る前にアルゼンチンについて知っていたことと言えば、タンゴと革命家チェ・ゲバラの生まれ故郷であるということくらいでした。実際にこの二つがアルゼンチン(ブエノスアイレス)ではどうだったかというと、タンゴについては、勿論、タンゴショーは素晴らしくダンサーの方達の哀愁ただよう踊りも素晴らしかったです。しかし、地元の方の間ではタンゴはどちらかというと年配の方々の習い事、という現状にやや驚きました。ミロンガと呼ばれるダンスホールに行ってみたところ、フロアをぎっしり占めるのはご年配の方々。週末の夜12時近くになると、次々にダンスホールに老老男女が訪れ肩がぶつかりそうなくらいの混雑したフロアで体をゆらしていらっしゃいました。1曲終わると、終了の合図の音楽が鳴り響き、一旦、全員がフロアからひいて、そこで相手をチェンジしたりしなかったり。ご年配の方のディスコ、といった様子でした。

チェ・ゲバラさんについては、ブエノスアイレス市中心街に位置する観光名所、大統領府(Casa Rosada)に見学に行った時のこと、入り口ホールで順番を待っていたのですが、後ろに並んでいたロサリオ市出身の青年が、親切にも英語でのガイドを申し出てくれました。ホールに掲げられているアルゼンチンの有名人の写真をひとつひとつ解説してくれて、その中にチェ・ゲバラさんの写真がありました。青年によると「アルゼンチンではゲバラは英雄ではありまセーン。なぜなら、ボリビアからアルゼンチンにも革命を起こそうとしてたからデース。実現する前に死んでしまいました。」(←おそらくこのような内容)たしかに彼の活躍はアルゼンチン国内の歴史には特に関係がないのかもしれません。

そんなゲバラさんですが、本名はErnesto Rafael Guevara de la Serna。どこにもチェ、という音は入っていません。実はこれは、アルゼンチンでよく使われている呼びかけ言葉のひとつです。スペイン人も呼びかけ言葉として「tio」とか「hija」とかが会話の途中に入ることがあります。ねえ、とか、きみ、とかそういう感じでしょうか。ブエノスアイレスに来て驚いたのはこの呼びかけ言葉のバリエーションがとても多いことでした。

che(チェー、とのばす)は主に男性に使われているようです。恋人同士、夫婦間ではgordo,gorda flaco,flacaがよく聞かれます。デブ、痩せっぽちという意味ですが、勿論、体型を揶揄しているわけではなく、スペイン語でいうcariño、英語でいうhoneyの意味に近いようです。その他にもpibe(=若者、スペインで言うchaval)、negro、chinita(中国人、東洋人)などなど。だんだんpoliticaly incorrectな響きになってきていますが使っている人たちはそれほど差別的な意図でもないようです。この前はパン屋で順番を待っていたら店のおばさんに
Qué querés, corazon? 「何がいるの、ハートちゃん」
とよびかけられ、一瞬、店内に他にそういう名前の人、もしくはハートマークのTシャツでも着ている人がいるのかとキョロキョロしてしまいましたが、私のことでした。まだまだバリエーションのありそうなこの呼びかけ語、なかなか自分では気恥ずかしくて言えるようにはなりませんでした。

さて、呼びかけ語の中で一番有名な、cheですが、その由来にはいくつか説があるという面白い記事を読んだのでご紹介いたします。

スペインのバレンシア地方から来たという説

バレンシアのサッカーチームの愛称はche。店の名前や雑誌の名前にも使われています。このcheの歴史は古く、カタルーニャ語(バレンシアでもともと話されているバレンシア語はカタルーニャ語グループに属する)のxeから来ていて、これは怒りをあらわしたり、ただ単に口癖(=muletilla)として使われていました。¿Che, que fas? =やあ、調子はどうだい?というように。

文献学者Inés Celayaさんによると、スペイン内戦ではバレンシアが反ファシズムである共和国軍の中心地であったため、多くのバレンシアの人々が国外に逃げ出さざるを得なかった。その人々がブエノスアイレスにcheを持ち込んだのは多いにあり得る、ということです。

さらに彼女は、スペイン内戦を描いたヘミングウェイの『誰が為に鐘は鳴る』に見られる有力な証拠を提示しています。小説に登場する1人が騒然としたバレンシアを以下のように描写するシーンがあります。「人々に秩序と呼べるようなものは何も無い。何を話しているのかわからない。やっていることといえば、大声でお互いに「che」と叫び合っているのだ」

イタリアのベネチアから来たという説

イタリアの文献学者はcocoliChe(イタリアなまりのスペイン語)のもとと言われるベネチア方言が由来であるという説をとなえています。イタリアからの移民は1814年から1970年にかけて600万人が入植しており、未だに最も大きいヨーロッパからの移民グループを形成しています。

アラブ人、セファルディム(ユダヤ人)が使っていたという説

バレンシア王国が出来る前、Al-Andalusの時代にアラブ人やセファルディムが使っていたshuf(=mira! ほら、ごらん!)が由来であるという説があります。スペイン人によるイスラム、ユダヤ教徒の国外追放が果たされてから5世紀がたってもまだその言葉がcheとしてアルゼンチンで使われているということになるでしょうか。

アルゼンチン北部のグアラニー語が由来という説

アルゼンチン北部のインディヘナ系の人々が使うグアラニー語では、cheがyo=私、もしくは所有格のmi=私の、という言葉として使われています。

しかしながらこの説は文献学者のÁngel Rosenblat氏によって否定されています。というのも北部の住民とブエノスアイレスの人々とがそれほど頻繁に交流していたとは思われないからです。

この記事のまとめとしては、バレンシア地方、バレアレス諸島に残るカードゲームの風習がアルゼンチンとウルグアイにも見られること、cheの使用はスペインの他の地域では見られないこと、などを鑑みると、やはり地中海沿岸地方からきた、と考えるのがよいのではないか、ということです。その更に昔はアラブの言葉かもしれないですし、やはり言語の由来というのは面白いですね。

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バスク料理店のようですが、、、バレンシア地方の?食べ物屋の写真:上記の記事より

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

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