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スタッフ通信

28/10/20

セルバンテス書店オンラインショップの活用法!

¡HOLA!
今月こそ月末にブログを更新、ということで、
今日は当店のオンラインショップの活用法についてお伝えします。

まず、セルバンテス書店オンラインショップを日々ご利用いただいている方、
いつもありがとうございます。Muchas gracias por su ayuda.

さて、なぜ今回のブログテーマがオンラインショップについてかと言うと、いくつか理由があります☟

1.コロナ禍において感染防止と接客業の両立をめざすにはどうしたら良いのか。
 
2.最少人数での営業(2人です)のため、当店では現在電話対応を取りやめ。
  (↑もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大防止のためでもあります。)

3.主張したい…当店のオンラインショップはただのオンラインショップではないのです。

主にこの3点です。

最も大きな理由としては1が挙げられますかね…
ウィズコロナという言葉もありますが、何よりも感染拡大防止を今は重視して営業しております。

また、2および3に関連してですが、現在は基本的にお電話でのご注文やお問い合わせを承っておりません。
(お電話をいただいても原則オンラインショップをご案内することとなります)

そこで活躍するのがセルバンテス書店オンラインショップです。

よくいただくお電話でのお問い合わせや、店頭での質問、例えば…☟

・DELEの問題集を買いたいのですが、中身を見てから購入したいのでお取り置きできますか?
→できます!オンラインショップのお問い合わせフォームよりお申し込みください。

・DELEの問題集、たくさんあるけどそれぞれどう違うんですか?
→オンラインショップをご覧ください。各書籍の商品ページにて、日本語の解説がございます。
(もし明確にタイトルが決まっていて、これとこれはどう違う?といったご相談があれば、
お問い合わせフォームやメールでご連絡いただいても構いません!結構そのような方もいらっしゃいます)


・この問題集、CDはついていますか?
・解答はついていますか?
・何回分の模擬試験が収録されていますか?
→オンラインショップの各書籍の商品ページをご覧ください。すべて記載がございます!

・DELEの問題集ではどれがおすすめですか?
→どういうものをお探しかなど、具体的なヒントをお教えください。そちらに合わせてご提案します。
ヒントがない場合は、当店のおすすめということで日本語解説付きをご案内します。

・店頭引取を希望したいので、お取り置きしてほしい。
→オンラインショップの「カートに入れる」より、配送の他に店頭引取も選択できます。

・(店頭にて)値段はいくらですか?
→棚に貼られているQRコードを読み取ってください。オンラインショップに繋がり、そこからご覧いただけます。

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ちなみにもっと詳しい「よくあるお問い合わせ」はこちらに記載がございます☟

◆セルバンテス書店オンラインショップ/よくあるご質問

いかがですか…実はほぼすべてのことがオンラインショップを活用していただくことで解決するんです。

(ちなみに店頭で質問をいただいた場合、スタッフの回答もオンラインショップの解説を元にしていますよ)

ご来店いただく前に、一度オンラインショップを見ていただき、
欲しい商品に目星をつけていただく、
そのうえで実際に中身を見て購入、
という流れにすると店頭でもスムーズにお買い物していただけます。

もちろん、店頭でどれを買おうか迷ったり、わからないことがあれば、
なんでもスタッフに聞いてください!

と、こんな感じで、オンラインショップには各書籍の情報がたくさん、
また、書籍によっては見本も掲載していますので一部中身もご覧いただけます。

ぜひ当店のオンラインショップをご活用ください。

では、Hasta luego🐶




3/04/14

NHKラジオ「まいにちスペイン語」のお知らせ

皆様、春ですね。いろいろなことがスタートする季節です。スペイン語を始めてみようかな、もしくはもう一度勉強してみようかな、とお考えの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
4月からスタートしたNHKラジオ語学番組、「まいにちスペイン語」の応用編を弊社社長、髙木が担当しております


まいにちスペイン語 ※応用編は(木・金)

放送時間

  • 放送: 月~金曜日 午前7:15~7:30
  • 再放送:月~金曜日 午後2:45~3:00

※記載されている放送日時はあくまでも予定です。
詳しくは番組表でご確認ください。

https://cgi2.nhk.or.jp/gogaku/spanish/kouza/

応用編は「心をつなぐ 大人のスペイン語」
ワインの輸入を仕事にする日本人女性をの物語を通じて、人との交流やビジネスの場で出会う、実践的なスペイン語 力を磨きます。気遣いをこめた表現や、交渉の場面での表現など、中級以上のスペイン語を、具体的な場面と、そのときの「心のつながり」をイメージしながら 学びます。

そこそこスペイン語の勉強はしたけれど、いざというときに言いたいことが相手にわかるようにいえない、、という悩み。それを解決してくれるのがこの番組です。挫折しがちな語学勉強だけど、週にちょっとずつ自分で使えるフレーズを覚えていくのが語学習得へのコツ。

NHKラジオ まいにちスペイン語 月刊(18日発売) テキストは全国の書店でお求めいただけます。

スマートフォンで番組を聴くには

らじる★らじる
http://www3.nhk.or.jp/netradio/index.html

らじる★らじる アプリもありますよ
iPhone スクリーンショット 1

Android版はこちら
Cover art

平日は仕事があってきけないという方には予約録音ができるラジオがおすすめ。
ラジオ好きのスタッフMはSONYのコレを持っています。
リンク先を調べようとAmazonを見てみたらなんと新製品でポータブルなものも出ている!

春です。新しいことをはじめてみませんか。(m)




18/12/13

ニャンドゥティ パラグアイのレースをご存知ですか

本日、関東地方では所によって雪の予報が出ていますね。皆様年末にむかっていかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。

私、スタッフMはアルゼンチンでスペイン語の勉強をしたり書店特派員として現地リポートを書かせていただいたりしていましたが、プライベートでは趣味の手芸のワークショップに足繁く通っていました。ブエノスアイレスでは近年、手作りが静かなブームとなっていて、ぬいぐるみ教室、編み物教室、刺繍教室、消しゴムはんこ、製本教室、折り紙、アクセサリー、フェルト手芸、piñata作り教室(メキシコで子供の誕生日のお祝いとして作られるお菓子やおもちゃをつめた紙製の珠や動物。子どもたちはみんなでくす玉のように割って楽しみます)、、、と思いつく限りでもかなりの数のワークショップが市内のあちこちで行われていました。ほとんどが個人の主催で、Facebookやネットを通じて宣伝されます。個人のお宅やアトリエで、お菓子とマテ茶を回し飲みしながらのんびり進みます。

私はとにかくアルゼンチン滞在中は、地元のネイティブとお知り合いになりたかったので、まめに参加いたしました。最初は現地の縦断爆撃的な会話のスピードと話題の展開の早さについていけず、下をむいてひたすら作業に集中していましたが、1ヶ月をすぎる頃からなんとなく会話に参加できるようになり、さらにもともと親切な周りのアルゼンチン人たちの「この日本人が何を話そうとしているか当てる」という技術が飛躍的に向上し、私が途中まで何かいいかけると、即座に「…だから…こういうことね!」と皆さんが先を争って言ってくれるようになりました。

そんなワークショップで私が一番、熱心に通ったのが「Ñandutí」ニャンドゥティ、(ニャンドゥッティ)というパラグアイのレース編み教室です。ニャンドゥティとはパラグアイのイタグア市で作られているレース編みです。その由来はスペイン各地 に伝わる「太陽」を意味するソル・レース、カナリア諸島のテネリフェ・レースと言われています。これらのスペインレースが白、もしくは生成りの糸が使われ ているのに対し、パラグアイでは赤、青、黄色、ピンクなど極彩色の木綿糸、縫い糸が使われているのが特色です。
Obra

ニャンドゥティの語源は諸説ありますが、パラグアイ固有の言語であるグアラニー語で「白い蜘蛛」であろうというのが今のところ定説となっています。真偽のほどはともかく、放射状に張り巡らされた糸に針をつかって模様を編んでいくさまは蜘蛛がその糸をかけていく様子に似ています。

Nandutidedina 先生の作品

私はこの初めて習う技術に夢中になりました。スペイン語の問題もあり、毎回毎回、先生のおっしゃることを自分なりにノートにメモし、絵を描きました。家に帰ってからメモした単語を辞書で引き、日本語になおしました。

そのノートに目を留めたギャラリーのオーナーであり今ではよき友人であるカロリーナがニャンドゥッティ初の手ほどき書として出版してくれることになったのです。

今年の8月に出版されたこの本が、長旅を経て日本に届きセルバンテス書店社長のはからいで店頭にて販売させていただくことになりました。

本と初心者のためのスターターキットをご用意しております。書店にお立ち寄りの際にはお手にとってご覧になってみてください。
Kit スターターキット
ニャンドゥティのマニュアル本
糸2色 (ブラジル製コットン)
刺繍枠

針2種
ピンクッション

ニャンドゥティの本はスペイン語と日本語の併記となっています。スペイン語を勉強中の手芸の好きなにもぜひ手にとっていただきたいと思います。

スペイン語を学んだら、次のステップとしてぜひ、ご自身の好きな分野に飛び込んでみてください。言葉は道具です。何かやりたいことのためにどんどん使いましょう!

ニャンドゥティについてもう少し知りたくなった方はこちら↓
http://botanicobotanica.blogspot.jp/2013/08/nanduti-paraguayan-lace.html

アルゼンチンの新聞での紹介記事
http://www.pagina12.com.ar/diario/suplementos/m2/10-2567-2013-08-03.html

23/10/13

アルゼンチンのおしゃれな映画--ブエノスアイレス恋愛事情

気温が下がってやっと秋めいてきた関東地方ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
ブエノスアイレスから戻ってきて、はや半年が経とうとしているスタッフMです。1年も住んでいたというのに、日本に帰ってきたとたんにいろいろ忘れてしまい、「あれ?去年、、何処にいたんだっけ?」となっている今日この頃です。私が忘れっぽいというのもあり、東京で吸収する情報が多すぎるというのもあるかと思うのですが、ブエノスアイレスという街の特徴の一つとして、様々なものが通過していく場所であるから、ということもあるのではないかとも思ったのです。

地元の人によるとブエノスアイレスに住む日本人は数が少なくて、たいていが1年か2年の滞在だそうです。日本人に限らず外国から来た多くの人がなんらかの事情でやってきて、また何処かへ去っていく。なので地元の人は「va y viene」=「去って、来る」という人の行き来に慣れています。そんな街の人々は外国人である私をすんなりと受け入れ、あっさりと見送ってくれました。外国人だけでなく、そこに生まれ育った人々もまた、何かの途中である、のかもしれないな、ということを思わせてくれたのが今回ご紹介するこの映画、『ブエノスアイレス恋愛事情』です。

Medianeras

配給は前回ご紹介した、『地中海式 人生のレシピ』と同じく渋谷の元気な映画配給会社Action inc.さんです。製作は2011年、監督・脚本はブエノスアイレス生まれのグスタボ・タレット、主演は『シルビアのいる街で』のピラール・ロペス・デ・アヤラとハビエル・ドロラス。物語は大都会ブエノスアイレスの片隅に住む独身の男女がすれ違いながら本当に自分が求めている相手に出会うまで、を描いたもの。

この映画を見てまず思ったのは、これは私の知っているブエノスアイレスだなあ、ということです。私が滞在したのが2012年なので、映画の製作年と近いからというのもあるのですが、それ以上に変わり行くブエノスアイレスの「今」をとてもよく捉えていると思いました。特に計画性もなく新しいビルが次々に生まれていく一方で大昔の建物が残り、古い地下鉄車両が走っている。大通りは常に通行人で溢れていて、予告なく停電がおきる。主人公のマリアナ(ピラール・ロペス・デ・アヤラ)とマルティン(ハビエル・ドロラス)が住んでいるのは、ブエノスアイレス市内を縦断するサンタ・フェ大通り。何キロにもわたって商店が続くにぎやかな通りです。二人は間に数件おいて並ぶマンションの上階にそれぞれ住んでいます。オリジナルタイトルの「medianeras」はClaveの辞書によるとque está en medio de otras dos(二つの物の間にあるもの)。この映画では具体的にはマンションの外壁を指しますが、もちろん二人の主人公の間、も暗喩していてなんとも気の利いたタイトルになっています。

この映画の特徴のひとつは、細部にとても凝っていること。重要なモチーフから画面にちらりとしか出てこないものまで、作り手のこだわりが出ていて思わずニヤリとなってしまいます。見終わった後に、「あそこに出てたアレ、コレだよね」と語り合いたい点がいくつもあって、このマニアックさが物語全体に面白さを与えています。私(だけ)にはわかる、と思わせる親密な感じが映画全体に流れているから、見ていて飽きないし何度でも見たくなります。アトムやウォーリー、ビールの銘柄や音楽などアルゼンチン産でないものもたくさん詰め込んであるので、ブエノスアイレスを知らなくても、「おっ」と思わせるところはきっとあるはず。

主人公のマリアナを演じた女優はスペイン人ですが、この映画ではアルゼンチン風のアクセントで話しています。ではポルテーニャ(ブエノスアイレスの女の人)に見えるかというとそうでもありません。しかしむしろ、その「なりきってないところ」がかえっていいなあと思いました。この人から感じるヨーロッパの香り、異国に住む外国人のような頼りなさ、がブエノスアイレスの街の孤独感を表すのによく似合っています。他に登場している女優、ブエノスアイレス名物、犬の散歩屋を演じたイネス・エフロンや典型的ポルテーニャ役のカルラ・パターソンにはラテンアメリカ女性特有のたくましさが感じられるのですがピラールにはそれがありません。彼女のはかなげな存在感が都会に生きる所在のなさを際立たせていて、そこに見ていて惹きつけられるのだと思います。これがアルゼンチンが誇るコメディエンヌ、カルラ・パターソンだったら一人でも楽しく生きていけそうだもの。監督が『シルビアのいる街で』を見てピラールに出演を熱望したというのもうなづけます。

一方、男性陣はどうかというと、マルティンを演じたハビエル・ドロラス、マリアナの元恋人(←某有名作家が演じています。ふふ)、マリアナにアプローチする男性たち。みんなお洒落で格好いいけどどこか弱々しい。この雰囲気が何かに似てるなあ、と思ったら監督はウッディ・アレンのファンだそうで、ああ、確かにウッディ・アレンの描く男性に近いかもしれません。都会では男性らしさをアピールできる機会がほとんどないから、どこか滑稽になってしまうものなのかもしれませんね。ついでに言えば、昔のウッディ・アレンの映画の第3の主人公がニューヨークであったように、この映画でもブエノスアイレスという街が重要な要素を担っています。今、ニューヨークもロンドンもパリも住居費が高騰し、街の中心部に若者が一人で住むのは難しくなっているでしょう。ブエノスアイレスも物価は安くありませんが、まだそれでも、「何者でもない」若者がふらりと住み着いてとりあえず暮らしていくことのできる、もしくはそう描いたとしても不自然ではない、大都会なのではないかと思います。

映画の中の季節も「短い秋を経て長い冬」に向かっていきます。日本もこれから寒くなっていく今の季節にぜひお勧めの映画です。かくゆう私ももう一度見に行くつもりです。できればDVDも欲しい。比嘉さん(Action incの社長、カッコいい大人の女性です)DVDも発売してくださーい!

11月16日(土)より新宿K's cinema他 全国ロードショーです。
公式サイトはこちら
http://www.action-peli.com/medianeras/

予告編はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=Y2tFlmlxfYw&feature=youtu.be&a

26/03/13

アルゼンチンひよこ通信35 最終回

ながながとおつきあい戴いて参りましたアルゼンチン通信も本日で最終回となります。読んで下さった全ての皆さんに心より御礼申し上げます。

先週から引き続き、アルゼンチンは新法王に選ばれたBergoglioさんの話題でもちきりです。アルゼンチンの人の名字の発音は難しいので、NYタイムスでも、Jorge Mario Bergoglio (pronounced Ber-GOAL-io)というように説明されていたようです。法王としての名前はPapa Franciscoとなるのでそちらのほうが発音しやすいですね。

下町に住み、普段から地下鉄とバスを使用し、貧しい人々の為に働いている庶民派として評価されている方のようです。日本人にしてみれば、地下鉄やバスに乗るなんて当たり前と思えますが、こちらでは中流以上の方々は自家用車移動が多いのでニュースにもなるのでしょう。キルチネル大統領とは夫のネストルさんのころに政権批判をしたことから仲が悪く、それもアンチ・クリスティーナの人々には人気のもとなのかもしれません。周りの地元の方も、おおむね好意的に受け止めているようです。私の周りの方々は、熱心でないにしろ、クリスチャンの方が多いからかもしれませんが。軍政時代に司祭の情報を密告したという「スキャンダル」もあるようですが、まあ、それはそういう時代だったから、、、という意見が多くきかれました。

こうしたお祝いムードのなかでアルゼンチンを後にできるというのもいいことだなあ、と思います。

さて、最終回の今回は何について書こうかなあとつらつら考えていました。おそらくこのブログを読んでくださる方はスペイン語に関心のある方々ではないかと思うので、「外国語を学ぶこと」についてお話しようかなあと思います。

私は英語、フランス語、スペイン語を勉強してきましたが、話が通じる程度に使えるのは英語とスペイン語です。今回、アルゼンチンについた時にはすでにスペイン語の知識があったものの、かなりさびついていたのとアルゼンチンのスペイン語がスペインで話されているものとだいぶ違ったので学校に通いました。正直いって、今回ほど語学学習のつらさを感じたことはありませんでした。まず、もう若くないので記憶力の衰えがみられること、中級以上のクラスはゼロから学ぶのと比べて上達速度が遅いことがあります。語学の勉強は中級以上になると基礎教養知識、自国語の国語力の問題も深く関わってくるので「日本語で読んでもよくわからない」文章を読んだり書いたり話したりしなくてはいけない、ということになるからです。

打ちのめされながらも、ストばかりの地下鉄とバスに乗って学校にいったのはなぜかというと、

まともに扱われたかったから

です。とてもネガティブな理由で申し訳ありません。しかしながら、ブエノスアイレスで言葉のわからない外国人が不快な思いをしないで生活するのは、かなり難しいと思うのです。もちろん、アルゼンチンにも言葉の分からない外国人に親切な方もいるでしょうし、言葉がわからなくても外国で親切にされた経験のある方もいらっしゃるでしょう。ただ、私自身の経験から言うと、海外で嫌な思いをすることの原因の一つとして、コミュニケーションがとれなかったから、があると思うのです。更にいえば、危険な目に会わない為にも「あなたの言うことはわかってるぞ」というアピールが必要なんじゃないかと感じたからです。

自己防衛からはじまった語学の勉強でしたが、おかげさまで滞在後半は地元の方々から面白い話を沢山、うかがうことができました。今では、語学の勉強できる環境を与えてくれた家族に感謝しています。

インターネットの普及や航空賃の値下げなどで海外が身近になったぶん、昔ほど海外生活への憧れがなく、仕事でも海外赴任を望まない方も多い、という話を聞きます。たしかに日本人にとって日本ほど快適に過ごせる場所はそうそうないだろうな、という気もいたします。しかし便利な一方で、「気遣い」からくるストレスがあると思うのです。

メールの返事が遅いとか、サービス業への不満とか、対人関係の円滑さとか、

こんなに気を遣っているのにどうして上手く行かないんだろう、、、

というような悩みをお持ちの方は結構多いのではないかと思うのです。私自身も自分に厳しくしようと思うあまり、他人にも厳しくなってしまうことがあります。しかし、スペイン語圏に住むと、「うまくいかなくてあたりまえ」という日常を目の当たりにし、「ま、そんなものよね」という意識が芽生えてくるから不思議です。

海外の方とお話しているとこういった、頭の栓が、ぽこりと抜ける瞬間に出会います。

日本人は勤勉で仕事熱心です。アルゼンチンでもそこが評価され、日本に対して好意的に思ってくださる方々に沢山出会いました。日本人は物事をすみやかに効率的に処理する能力に長けているので、経済的にも発展し、海外に行ってもさほど差別にあわずにすんでいると思われます。

ところがアルゼンチンの方と話していると、そうした実生活レベルのものさしではなく、まったく違ったものさしがあって、「そういう考えがあったのか」と気づかされことがあるのです。経済的にみれば、アルゼンチンはかなり困難な状況にあり、急激なインフレ、輸入規制、デフォルトの噂も常にささやかれます。電車はとまるし、スーパーから物はなくなるし、治安がいいともいえないし、どこに行っても並ばなくてはいけない。しかし、個人個人の教養の深さやいざと言う時の心の広さ、バイタリティに、素晴らしいと感じる瞬間がいくつもありました。

思うに社会システムには問題があるけれど、人間個人は素晴らしい、という国じゃないかと思うのです。こういうことは、現地の方とコミュニケーションがとれて、はじめて気づくことができることなのではないかと思います。いろんな方が私よりももっと上手に、こういった「異文化体験」に出会うことついて書いたり話したりされています。しかし、読んで理解するのではなく、やはり自分で体験して自分で気づく、ということがその後の人生にとってとても重要なのではないかと思うのです。

私がスペイン語を習う為に通ったブエノスアイレス大学(UBA)の授業ではしばしば、答えが一つではない、という問題を解きました。日本式の語学教育を受けた私にしてみれば、最初は納得がいかなかったのですが、「答えよりも考える過程が重要なのだ」という考えが根底にあるような感じられました。スペイン語、というくくりとはいえラテンアメリカ諸国でそれぞれ使われているスペイン語はボキャブラリー以外にも発音、文法解釈の違いなど、土地によって人種によって、社会階層によって、様々なバリエーションがあります。大抵の場合、「ここではこう言うのが一般的である」というグレーゾーンの答えが返ってくるのです。言葉は使う人によって変化していくものですから、当たり前のことなのかもしれません。
UBAで私が習った先生は生徒に正答を求めるのではなく、生徒の言いたいことが何なのか、それがここの人に正しく伝わるにはどのように言えば良いのか、を中心に教えてくださいました。一つの質問を生徒全員にあてて、一人一人直していく、という授業のやり方には驚きました。最大で1クラス10人位いたので、1人1問答えていくやりかたのほうが普通だと思います。非効率的でも常に対話は先生と生徒で行って下さったので、後々役に立つ授業でした。中級以上の場合、生徒同士で対話してもお互いに言いたいことを一方的に話すだけなのであまり身に付かないように思えるのです。

私のスペイン語はお世辞にも上手とはいえないし、動詞の活用を間違えることもしょっちゅうです。しかし、こちらの方の話を聞きたいという好奇心から、相手の話を正しく理解する努力と、自分の考えを誤解されないようにシンプルに伝える、という訓練はなんとかしてこれたように思います。

全ての方が、海外で生活するという機会に恵まれるわけではありません。もしもそういう機会に出会うことが合ったらぜひ、十分に満喫していただきたいと思います。

最後ということで長くなってしまいました。今回、コメント欄を書き込めるように設定いたしますので、ぜひ皆様の「外国語とわたし」についてお聞かせ願えれば嬉しいです。

読んでくださった皆様、自由に書くことを許してくださったセルバンテス書店の方々、一年間本当にありがとうございました。

スタッフM

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24日の日曜はカソリックの聖週間の初日である「枝の主日」=el domingo de los ramosでした。ブエノスアイレスではカソリック教徒の方々が路上で(多くは貧しい人々によって)売られているオリーブの枝を買い求めます。写真は下記の記事より。

新法王が誕生してからはじめての枝の主日

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

9/03/13

アルゼンチンひよこ通信34 チェの由来

さて長々とおつきあい戴いてきたこのアルゼンチン通信も残すところ(およそ)今回をいれてあと2回くらいかな、と思っています。1年の滞在は長かったような短かったような、日本に帰ることで名残惜しいような、でもやっぱりほっとしているようなそんな風に残りの日々を過ごしています。

こちらに来る前にアルゼンチンについて知っていたことと言えば、タンゴと革命家チェ・ゲバラの生まれ故郷であるということくらいでした。実際にこの二つがアルゼンチン(ブエノスアイレス)ではどうだったかというと、タンゴについては、勿論、タンゴショーは素晴らしくダンサーの方達の哀愁ただよう踊りも素晴らしかったです。しかし、地元の方の間ではタンゴはどちらかというと年配の方々の習い事、という現状にやや驚きました。ミロンガと呼ばれるダンスホールに行ってみたところ、フロアをぎっしり占めるのはご年配の方々。週末の夜12時近くになると、次々にダンスホールに老老男女が訪れ肩がぶつかりそうなくらいの混雑したフロアで体をゆらしていらっしゃいました。1曲終わると、終了の合図の音楽が鳴り響き、一旦、全員がフロアからひいて、そこで相手をチェンジしたりしなかったり。ご年配の方のディスコ、といった様子でした。

チェ・ゲバラさんについては、ブエノスアイレス市中心街に位置する観光名所、大統領府(Casa Rosada)に見学に行った時のこと、入り口ホールで順番を待っていたのですが、後ろに並んでいたロサリオ市出身の青年が、親切にも英語でのガイドを申し出てくれました。ホールに掲げられているアルゼンチンの有名人の写真をひとつひとつ解説してくれて、その中にチェ・ゲバラさんの写真がありました。青年によると「アルゼンチンではゲバラは英雄ではありまセーン。なぜなら、ボリビアからアルゼンチンにも革命を起こそうとしてたからデース。実現する前に死んでしまいました。」(←おそらくこのような内容)たしかに彼の活躍はアルゼンチン国内の歴史には特に関係がないのかもしれません。

そんなゲバラさんですが、本名はErnesto Rafael Guevara de la Serna。どこにもチェ、という音は入っていません。実はこれは、アルゼンチンでよく使われている呼びかけ言葉のひとつです。スペイン人も呼びかけ言葉として「tio」とか「hija」とかが会話の途中に入ることがあります。ねえ、とか、きみ、とかそういう感じでしょうか。ブエノスアイレスに来て驚いたのはこの呼びかけ言葉のバリエーションがとても多いことでした。

che(チェー、とのばす)は主に男性に使われているようです。恋人同士、夫婦間ではgordo,gorda flaco,flacaがよく聞かれます。デブ、痩せっぽちという意味ですが、勿論、体型を揶揄しているわけではなく、スペイン語でいうcariño、英語でいうhoneyの意味に近いようです。その他にもpibe(=若者、スペインで言うchaval)、negro、chinita(中国人、東洋人)などなど。だんだんpoliticaly incorrectな響きになってきていますが使っている人たちはそれほど差別的な意図でもないようです。この前はパン屋で順番を待っていたら店のおばさんに
Qué querés, corazon? 「何がいるの、ハートちゃん」
とよびかけられ、一瞬、店内に他にそういう名前の人、もしくはハートマークのTシャツでも着ている人がいるのかとキョロキョロしてしまいましたが、私のことでした。まだまだバリエーションのありそうなこの呼びかけ語、なかなか自分では気恥ずかしくて言えるようにはなりませんでした。

さて、呼びかけ語の中で一番有名な、cheですが、その由来にはいくつか説があるという面白い記事を読んだのでご紹介いたします。

スペインのバレンシア地方から来たという説

バレンシアのサッカーチームの愛称はche。店の名前や雑誌の名前にも使われています。このcheの歴史は古く、カタルーニャ語(バレンシアでもともと話されているバレンシア語はカタルーニャ語グループに属する)のxeから来ていて、これは怒りをあらわしたり、ただ単に口癖(=muletilla)として使われていました。¿Che, que fas? =やあ、調子はどうだい?というように。

文献学者Inés Celayaさんによると、スペイン内戦ではバレンシアが反ファシズムである共和国軍の中心地であったため、多くのバレンシアの人々が国外に逃げ出さざるを得なかった。その人々がブエノスアイレスにcheを持ち込んだのは多いにあり得る、ということです。

さらに彼女は、スペイン内戦を描いたヘミングウェイの『誰が為に鐘は鳴る』に見られる有力な証拠を提示しています。小説に登場する1人が騒然としたバレンシアを以下のように描写するシーンがあります。「人々に秩序と呼べるようなものは何も無い。何を話しているのかわからない。やっていることといえば、大声でお互いに「che」と叫び合っているのだ」

イタリアのベネチアから来たという説

イタリアの文献学者はcocoliChe(イタリアなまりのスペイン語)のもとと言われるベネチア方言が由来であるという説をとなえています。イタリアからの移民は1814年から1970年にかけて600万人が入植しており、未だに最も大きいヨーロッパからの移民グループを形成しています。

アラブ人、セファルディム(ユダヤ人)が使っていたという説

バレンシア王国が出来る前、Al-Andalusの時代にアラブ人やセファルディムが使っていたshuf(=mira! ほら、ごらん!)が由来であるという説があります。スペイン人によるイスラム、ユダヤ教徒の国外追放が果たされてから5世紀がたってもまだその言葉がcheとしてアルゼンチンで使われているということになるでしょうか。

アルゼンチン北部のグアラニー語が由来という説

アルゼンチン北部のインディヘナ系の人々が使うグアラニー語では、cheがyo=私、もしくは所有格のmi=私の、という言葉として使われています。

しかしながらこの説は文献学者のÁngel Rosenblat氏によって否定されています。というのも北部の住民とブエノスアイレスの人々とがそれほど頻繁に交流していたとは思われないからです。

この記事のまとめとしては、バレンシア地方、バレアレス諸島に残るカードゲームの風習がアルゼンチンとウルグアイにも見られること、cheの使用はスペインの他の地域では見られないこと、などを鑑みると、やはり地中海沿岸地方からきた、と考えるのがよいのではないか、ということです。その更に昔はアラブの言葉かもしれないですし、やはり言語の由来というのは面白いですね。

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バスク料理店のようですが、、、バレンシア地方の?食べ物屋の写真:上記の記事より

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

20/02/13

アルゼンチンひよこ通信33 カストロさんの手紙

ベネスエラのチャベス大統領にむけてキューバの元元首、カストロ氏が書いた手紙についてのブログをアップしたはずですが、どうやら丸ごと記事が消えてしまったようです。

もう一度書こうかとも思ったのですが、本日、3月5日の現地時間16時25分にチャベス大統領がお亡くなりになりました。つつしんでご冥福をお祈りしいたします。

チャベス大統領の記事はこちら
http://www.lanacion.com.ar/1542831-murio-hugo-chavez

カストロ氏の手紙についての記事はこちら
手紙の抜粋がご覧頂けます。何を書いたかというと、カストロ氏のスペイン語が学校の校長先生みたいなきちんとしたスペイン語だったのに驚いた、というそれだけの話題でした。

フォローが遅くなって失礼いたしました。

18/02/13

アルゼンチンひよこ通信32 銀行

日本の皆様こんにちは。2月も半ばを過ぎましたが、寒さはいよいよ本格化しているころでしょうか。体調など崩されませぬよう、ご自愛下さいませ。
 南半球にあるここ、ブエノスアイレスでは、連日、暑い日が続いて別の意味で体調をくずしそうです。2月にもバカンスを取る人がいるとはいえ、カーニバルも終わるとそろそろ街に人々が戻ってきている感じがいたします。バスも地下鉄も混み始め、きれいに日焼けした人たちがこざっぱりとしたシャツに身を包んで仕事に復帰しています。

公園には、ブエノスアイレス市が提供する黄色いパラソルとチェアーが並びます。黄色は市のテーマカラー。自転車も黄色なら、工事現場のついたても黄色です。連日35度越えの気温と暑い日差しの中、公園で水着になってせっせと肌を焼いている光景が見られます。スペインでもそうでしたが、「日焼けはバカンスにいったあかし。白肌はバカンスに行けなかった可哀想な人」という見方がまだ優勢なブエノスアイレスでは、みなさん日焼けにせいを出しています。確かに、日焼けした肌に糊の利いた明るい色のシャツを颯爽と来た男性や、ワンピースにサンダル、大きめのアクセサリーをつけた女性などは生活の余裕が感じられて、見てても健康的で気持ちのいいものです。湿気が多くてひたすら暑い街で、彼らのお陰で、バカンスの余韻のようなものが漂っています。

しかし、そんな中、またしても忍耐力を試されるようなことがありました。それは「銀行の振込」です。それはLa Banco de la Nación Argentina、アルゼンチンの国立銀行でのことです。

前に、地元の方から「Banco de la naciónの振込の列に並ぶくらいだったら、電車に乗って本人に払いにいった方がいい」ということをちらっと聞いたことがあったのですが、まあ、アルゼンチンの経験として銀行の振込をやってみたい、と思い、午前11時過ぎぐらいにぶらぶらと家を出たのでした。

地下鉄に乗って、我が家から一番近い支店にいきました。しっかりとした作りのおもむきのあるビルに入ると、小さな地方空港のロビー並みの広さに場所にかなりの数の椅子が並んでいます。椅子は8割がた埋まっていました。

嫌な予感がふといたしました。

入り口脇の機械から番号札を引くと237番と書いてあります。電光掲示板に光る"TURNO"=順番 の番号は36番。え?ふたけた?200番くらい差がありますけど?どういうこと??

とりあえず椅子に座って状況を把握してみることに。まず、日本の銀行にあるような振込先を書くような小さな用紙はないようです。みなさん番号札を持って、虚空を眺めたり、本を読んだり、クロスワードパズルをやったりしています。どうやら本当に、200人待ちのようだぞ、、、

事実を確認するため、もう一度入り口へ。誰か係員の人はいないだろうか?入り口脇に木製のカウンターがあります。総合案内か?と思って近寄るとなんと、アメやガムを売っているキオスクでした。長い待ち時間を甘いお菓子でいやすのでしょうか。一緒につれてきた子供対策なのかもしれません。しかし、銀行内部にキオスクがあるとは、、、

係員の人がいなさそうなので、もう一度、入り口の番号札の機械を見てみることにしました。よく見ると2つあって、1つは"Atención de la caja"。もうひとつは"Plataforma comercial" こちらは会社関係でしょうか。待つための椅子も電光掲示板も別にあります。待っている人は少ないのですが、その分、1人あたりの時間もかかっているようす。どうやら振込をするのには私の引いた番号で間違いはなさそう。

番号札の機械の脇には「番号札の配布は10時から。年金生活者=jubiladosのみ9時から10時の間に番号を受け取れる。」とあります。11時半過ぎに着いた私は完全に出遅れていたと言えるでしょう。

200人待ちってどれくらいだろう、とやや呆然としながら椅子に座ると、なんと隣の席に座っていたお兄さんが、私に157番の札を黙って差し出してくれるではありませんか!!

「もうお帰りになるんですか?」と聞いてみたところ、黙って手元にもう一枚の番号札を見せてくれました。そちらの番号の方がやや若い。どうやらあきらめて帰る人が、まだ待っている彼に番号札をたくしていったのでしょう。

すばらしい、すばらしい助け合いの精神。心の底から感謝しながらその157番の番号札を受け取りました。よく見ると、番号札を複数持っている人が何人かいて、互いに譲り合っています。それから待つこと1時間余。自分の番号が近づくと緊張します。ここまで待って呼び飛ばされてはいけない!!窓口に通じるつい立ての手前で汗でふにゃふにゃになった番号札を握りしめながら待ちました。

やっと自分の番号が表示されて、つい立てのうらの窓口へ。手続き自体はごくあっさりとしたもので、5分もかからなかったと思われます。5分のために約1時間半待ちか、、、しかしあのお兄さんが番号を譲ってくれなかったらまだあと1時間は待たなくてはいけなかったでしょう。

情けは人の為ならず。私も他の方のお役に立たなくては!入り口脇で今まさに、番号をひかんとしているおじいさんに、「どうぞこれをお使い下さい」と最初にひいた237番を差し出しました。おじいさんは驚いた様子で「あなたはいいんですか?」と聞いてくださいました。
「ええ、私はもう終わりましたから!!」おじいさんからお礼のことばを頂きながら銀行を後にしました。

暗いビルの中から真夏の陽光が照る通りに出て、すがすがしい気分で帰宅しました。アルゼンチンではいろいろな手続きが大変なぶん、人の親切が心に染みます。いろいろと便利な東京では、ちょっとした他人のもたつきやミスに思わずいらついてしまうことがありました。もしくは自分がもたもたして、他の人に「ちっ」と舌打ちされてしまうこともあります。ここ、アルゼンチンでは、いろんなことが手間ひまかかると、かえって他人には親切になれる、という不思議を体験いたしました。

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写真は銀行とは関係ない、レコレータ墓地の猫達。毛並みがよくてころころ太っていました。

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

2/02/13

アルゼンチンひよこ通信31 王室の話題

日本の皆様こんにちは。寒い季節が続いているようですね。タミフル使用話などもちらほらきくようになりました。くれぐれも体調にはお気をつけ下さいませ。

南半球にあるブエノスアイレスは今、夏の盛りを迎えています。とにかく暑い。ラプラタ川が市の近くを流れているので湿気のある暑さです。ここ数日、夜も熱帯夜、朝から空調がないと耐えがたいという暑さが続いています。

そんな中、銀行に行ったら、自分が引いた番号札と、電光版に点灯している現在処理中の番号の間に200番ほどの開きがあって、一瞬、呆然とした、、、、という話を書こうと思っていたのですが、アルゼンチン出身のMáximaオランダ皇太子妃が今年4月に王妃になる、という華やかなニュースが飛び込んできましたので、そちらをご紹介することにします。

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Máxima Zorreguieta 皇太子が王位を次ぐことになったというClarín紙の記事:写真も記事より

アルゼンチンには勿論、スペインと違って王室はありませんが、ブエノスアイレス出身のスペインバスク系の血をひくMáximaさんがオランダ皇太子ヴィレム・アレクサンダーさんと結婚したことから、オランダ王室入りとなったのです。

Máximaさんは1971年ブエノスアイレス生まれ。Universidad Católica Argentinaで経済学を学んだ後、New Yorkで銀行に勤めていました。1999年にスペインのSevillaのお祭りでsevillanaの衣装を着て歌い、踊っていたMáximaさんをみたヴィレム皇太子が気に入ってしまったということです。Máximaさんの方は(アルゼンチンのNación紙によると)ガードマンに囲まれた赤毛のそばかす(pelirojo y pecoso)の青年がまさかオランダの王位継承者だとは思わず、皇太子は太っていて踊りも下手だったので、正直、最初は印象に残らなかったということです。

とはいえ、2002年には正式に結婚にいたりましたが、Máximaさんの父親のJorge Horacio Zorreguieta氏がアルゼンチンの軍事政権時代、Jorge Rafael Videlaのもと、農林大臣だったことが問題となり、結婚式には参列しませんでした。式ではピアソラが父をテーマに作曲した、タンゴ曲Adiós Noninoがバンドネオンで演奏され、Máximaさんが父の不在を思い涙をこらえきれなかったというエピソードがあります。

結婚後は3人の娘さんたちが生まれ、異国の地で(たぶん)いろいろご苦労されながらも常に笑顔を絶やさず、いつも彼女自身=ella mismaとして自然な=espontánea皇太子妃として活躍されています。

そんなMáximaさんですが、現オランダのベアトリクス女王が「この4月30日に王位を息子に譲る」と宣言したことから、次期オランダ王妃としてアルゼンチンでも報道されたのです。

Nación紙によるMáximaさんの生い立ち、なれそめ、結婚後をまとめた記事

勿論、アルゼンチンの女性誌Hola ArgentinaもMáximaさん特集です。ああ、はやくキオスクにいって買わなくては!!

Naciónの記事によると、王妃となるにはいままで2重に所有していたアルゼンチン国籍を放棄しないといけないそうですが、Máximaさんは決してアルゼンチン人であることと国との結びつきは放棄しない、とのことです。=Máxima nunca renunció a su argentinidad y a los lazos con su patria.

王室関係の話題になるとなぜか熱心に読んでしまうのでした。あしからず。

注)筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

17/01/13

アルゼンチンひよこ通信30 バカンスシーズン突入

日本の皆様こんにちは!あちこちで雪が降って交通機関のみだれなどいろいろご苦労なさった方もいらっしゃるのではないでしょうか。何はともあれ、きりっと冷えた空気の中、すがすがしく一年のスタートを切られたことと推察申し上げます。

さて、しばらく間があきましたがここアルゼンチンでも新しい年を迎えております。しかし今が夏の南半球では連日、三十度を超える暑さで頭はぼんやり体もだるい、という状態で、日本的な「新しいスタート」といった気持ちの切り替えがなかなかできません。そもそも1月はアルゼンチンで夏のバカンスシーズンにあたり、新年というよりはあくまで「夏休み」という印象です。街中でも普段より2割くらい人が少ないような気がします。ショッピングモール、チェーン店は通常営業ですが、個人店などは1月いっぱい、もしくは2週間お休みというところもちらほら見受けられます。いつもはいっぱいのマンションの洗濯室も空いてて快適です。

地元の人によると、勤め人の平均的な夏休みは約15日間でクリスマス付近から2月までの間に順次、取っていくもののようです。フリーランスで働いている人などは1ヶ月ほど休むこともあるようですが普通はだいたい、2週間ぐらいというかんじでしょうか。バカンスを過ごす人気の逗留先としては、ビーチリゾートのMar del Plata、南米のスイスと言われるBarilocheなどがあります。国外ではウルグアイ、ブラジルなどに行く人が多いようです。

さて、いつもより人が少ない状態で行われることといえば、交通機関の整備です。列車の駅の整備や新しいトンネルの建設の他、このたび、ブエノスアイレスの最も古い地下鉄A線の車両(その歴史100年)が、中国製の新しい車両に交換されることになりました。

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A線の車両。これが最近まで現役で動いていたことがすごいと思います。

引退する古い車両は一部が図書室として利用されることに

新しい車両をお披露目するブエノスアイレス市長、マクリさん
(さんざん受け入れをゴネていたマクリさんですが引き受けることが決まってからは積極的に活動しているご様子です)

そのため、1月12日から3月8日まで地下鉄A線は休業となります。普段、A線を利用している人々はバスを使用することになるわけですが、初日から長い列ができている、というニュースが報道されました。利用者によると普段より30分以上待たないとバスに乗れない、もしくはせっかく来たバスも満員なので停留所を通り過ぎてしまう、ということです。「地下鉄ストのときの経験から普段より1時間半早く家を出た」という人もいて、あらためてこちらの人の我慢強さに驚かされます。とにもかくにも、ブエノスアイレスで何かしようとすると、並ぶ、待つということからは逃れられないわけですが、地下鉄が2ヶ月も停止する、しかもこの暑い盛りに、という事態はあまりに耐えがたいのではないでしょうか。と、私のようないち外国人がこのように意見したならば

「だってどうしようもないだろ?」

といわれることでしょう。そうです、どうしようもないことは耐えるしかありません。日本人として感心するのが、その待たされているときにもかかわらず、こちらの方はお年寄りや妊婦さんに順番を譲ることです。先日、手紙を出すために郵便局で1時間あまり並んでいましたが、その間にもお年寄りに(限りあるイス)席を譲ったり、首にコルセットをはめたお年寄りがきたら、30人以上並んでいても、すぐに順番を譲ってあげたり、さんざん並んで必要事項に書き込もうとして、備え付けの全てのボールペンのインクが空で脱力しそうな私に、さっと自分のボールペンを差し出してくれたお姉さんがいたり、、と「耐えがたい状況こそ、皆で助け合う」という気持ちが素晴らしいと思います。
、、、とはいえ地下鉄のラッシュ時には順番守らずに誰もが入り口に殺到しますが、無事座席を確保して我に返ったら、席を譲ってくれることでしょう。

日本人が世界でいろいろ認められている様々な美徳、勤勉である、几帳面さ、事務処理能力の高さ、などなど優れている面はあるかと思いますが、忍耐力ではアルゼンチン人にはかなわないなあと思うのです。

注)地区や時期により事情は変わってくると思われます。さらに筆者の不勉強による思い違い、勘違いも十分予測されます。軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです

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